岩松八幡宮 (太田市岩松町)
8月某日、昼休みを利用して、スタンプラリーへゴー!
まずは岩松町の「岩松八幡宮」へ急ぐ。
岩松八幡宮に隣接してある「いぬま公園」に車を停める。そこの掲示板によると
「いぬま公園」の掲示板
ネット上のサイトじゃ、なぜかこの「新田義重」を「新田義貞」と誤記してるもんが目立たぃなぁ。
隣の岩松八幡宮へ。スタンプは社務所の軒下にあったで。
立派な本殿・西側から/本殿に大中黒/八幡宮
拝殿・なかなか立派
現地説明板
スタンプラリー・・・なかなかシブイ選定じゃねーきゃと勝手に思ってたけんど、オレが知らなかっただけで由緒あるところなんだねぇ。この説明板でびっくりしたんは、新田三社の記載。まぁ生品神社は当然だんべとは思うけんど、笠懸の鹿田赤城神社も古は有名だったんだなー。あとで行ってみんべ。新田氏本流が滅びちまったあとは、岩松氏が新田の地を支配することになったんで、この神社も有名なんだんべなぁ。
さぁ時間も限られてるんで、次のポイントにいってみんべぇか。(・・・急いでたんで摂社新田神社の画像を撮り忘れるとゆう大失態。後でもう一度行がねぇとね。)
峰岸純夫 『新田義貞』 によると、義貞公没後30年に、良円・良仙とゆう二人の僧侶が資金を集め、絵師に「北野天満宮縁起絵巻」を描かせて岩松八幡宮に寄進したんだそうだぃね。絵巻の奥書にはいかなる権威に対してもこの絵巻を貸し出したり持ち出したりしてはならねぇって書いてあるんにも関わらず、いろんな所を転々として、現在は
国立民族学博物館の所蔵品になったっつーことだっぃね。
博物館のHPの館蔵所蔵品紹介で「岩松」と入れて検索すっと、「岩松宮本」ってゆう絵巻が出てくるんだけんど、それみてぇだぃね。
【参考文献】
峰岸純夫 人物叢書239 『新田義貞』 p180 吉川弘文館 2005
岩松八幡宮 (ちず丸リンク)