岡登霊神社 (太田市大原町)
1661年に代官に新任して以来、銅山(あかがね)街道を整備し、用水を引いた代官岡登景能公を祀った神社。銅山街道は現在の県道69号線にほぼ一致すらぃね。水に乏しかった大間々扇状地新田北西部の開発は景能公の功績とゆっても過言じゃねぇやぃね。今なおこの沿線には「新田(しんでん)」の名のつく地名がいっぺぇあらぃね。(1687年、景能公は冤罪を被り自刃され、遺骸は笠懸の国瑞寺に葬られたぃね。現在、国瑞寺は琴平山西の国道50号線沿いにある)
毎週この前の県道を通って仕事に行ってるんで、その存在を知ってはいたんだけんど、行ぐんは初めて。駐車場を提供してくれてる全性寺に車を停めて、ちっと歩ってぐとなかなか立派な神社。県道からは良くみえねんで、こんなに立派なもんだとは知らなかったで。・・・でもスタンプラリーがなかったら、来ることもなかったんべなぁ、たぶん。
景能公の功績を称える説明板
景能公の功績を説明した大きな説明板あり。岡登氏の偉業がよくわからぃね。でも・・・よくみっと「八王子山」が「八王寺山」って書いてあるんだけんど・・・
境内には「大原相撲之碑」とゆう碑もあったぃね。
奥の神明宮も、全性寺本堂の彫刻も立派だぃねぇ。
山門/立派な境内・手水舎もある!/岡登景能公
神明宮/全性寺/全性寺本堂のお見事な彫刻
大原の辺りは道幅も広く、『藪塚本町の民俗』(群馬県教育委員会 1974)によると、その昔は商店が軒を連ね、道の両脇には日露戦争を記念した桜がいっぺぇ植わってて桜の名所だったんだそうだぃね。(現在は桜並木の面影もねぇけんど)神明宮で二十日位サーカスが来ていたとの記述もあるんさね。なっから栄えてたんだねぇ。
・・・現在の県道69号線は右折車線が全然整備されてなくって、朝晩いっつも渋滞のトホホな県道。岡登景能公を越える気概の政治家の出現を、今の時代に期待するんは無理なんかねぇ。
【参考文献】
『薮塚本町の民俗』 p51-52,57-58 群馬県教育委員会 1974
岡登霊神社 (ちず丸リンク)
これで藪塚の3ポイント制覇!あと記念品まで14ポイント!(遠い~!)
今日の所はこれでオシマイ!気持ちをサッカーに切り替えて正田醤油スタジアムへゴー!
(この日(8/8)分は了。スタンプラリーの記事は今後もつづく)