義貞駒つなぎの松 (太田市亀岡町)
大舘氏館跡を見物して、帰ぇることにした。上武道路を横切って、道を東へ進むと尾島小と尾島中の間のセブン○レブンのそばの道っぱたに、高くそびえる松の木があるんさね。おおっ!これがあの伝説の「
義貞駒つなぎの松 」なんじゃねんきゃ!「
矢止の松」と同じ
義貞公伝説の松だぃね。何気に気づくたぁ、オレは義貞公と縁があらぃなぁ。(笑)
現在は義貞公は生品神社の旗揚げの後、笠懸野の東山道を西進し、現在の前橋の大渡付近で利根川を越え、高崎の八幡庄で越後新田一族軍と合流し鎌倉に進撃したとされるんだけんど、戦前は「新田氏根本史料」はじめ、南進→利根川渡河説が大勢だったんさねぇ。尾島周囲には、この松をはじめ南進を窺わせるいくつか伝説が残ってるみてぇだぃね。なっからでっけぇ松で下には松ぼっくりがいっぺぇ落ちてたぃね。
現地案内板
説明文中の「・・・・」が現在のこの伝説の立ち位置を
よく表してる気がすらぃね・・・
果たして義貞公と一族は、旗揚げの後、西進したんか南進したんか、未来の連中がタイムマシンを使ってこの謎を解明してほしいもんだぃね。
狭山にも「義貞駒つなぎの松」があるんだそうだぃね。(
こちら)
義貞駒つなぎの松 (ちず丸リンク)
本日の新田氏関連史跡めぐり、了。
(→実はこん時の本当の目的は史跡めぐりじゃなくって、とある花を撮影しに行ったんだけんど、はぁ枯れてたんさねー・・・orz)