妙満山大慶寺 (太田市新田大根町):本堂と鐘楼
新田氏の始祖新田義重の娘が源義平の妻となり、その後、義平の菩提を弔うために綿打郷に移り出家して妙満尼となり、治承4年(1180)に一庵を結び、その後新田氏一族、綿打氏の居城となったそうだぃね。綿打氏は、大舘家氏の子、綿打太郎為氏を始祖とした一族で、為氏の子、嫡流の綿打太郎氏義、孫の大炊助氏頼父子は『長楽寺系図』によると越前金ケ崎城落城の際に討死したとされてる。その他にも綿打一族が土佐に花園宮を擁した新田綿打入道(為氏か)や、綿打政光など西国で南朝のために奮戦したみてぇだぃね。
その後、明徳5年(13944)に足利小俣の鶏足寺から明源房空覚上人を招いて大慶寺を創建したんだと。
そして幾多の変遷を経て、
別記事にも書いた通り、平成の今では「
ぼたん寺」として有名だぃね。
ぼたんと本堂
仁王門
不動堂
祀られた不動明王は
新田義貞の戦死を知ると、その死を惜しんで泣いたとゆう伝説があるんだと;別名泣き不動
いろいろ文献を調べてみっと、寺の周囲にはまだ「一部土塁が残ってる」とあるんだけんど、浅学のオレはめっけることができなかったぃね。綿打氏の居城跡を示すんは、仁王門脇にめっけたこの石碑だけだったぃね。
「綿打入道太郎為氏館跡」の碑
大慶寺 (ちず丸リンク)
【参考文献】
久保田順一 『新田一族の盛衰』 p157-158 あかぎ出版 2003
峰岸純夫 人物叢書239 『新田義貞』 p143-144 吉川弘文館 2005
『大慶寺パンフレット』
→載っていたURLにHPねんだけんど・・・東毛の社寺は、どこもまっとウェブページをちゃんと作った方がいいと思うんだけんどね。