火曜日、仕事帰ぇりに旧尾島町、武蔵島町の花見塚公園へ行ってみたで。
花見塚公園まではきちんと道標があって、辿り着くのは予想していたより簡単だったけんど、道と駐車場はちっと狭めぇやぃね。
花見塚公園は近年整備されたらしくって、そこには赤い鳥居の花見塚神社があって、その奥まったところに「勾当内侍(こうとうのないし)の墓」 と呼ばれてる五輪塔がひっそりとあるそうだぃね。
匂当内侍は、後醍醐天皇のお側に仕えた女官の一人で(勾当内侍とゆう名は宮廷での役職名)で、公卿・一条行房の娘と伝えられ(妹とも)、その美貌から後醍醐天皇の寵愛を受けてたんさ。京で義貞公はその美貌に虜となり、義貞公は天皇より勾当内侍を恩賞として賜ったんだそうだぃね。『太平記』巻20で「義貞首懸獄門事付勾当内侍事」とあり、獄門の記事のあと長々と義貞公とのロマンスが記されてるんさ。義貞公が勾当内侍との別れを惜しんだことが九州に敗走した尊氏の追討の遅れの一因とされてて、まさに「
傾国の美女」の扱いだぃね。(ちなみにNHK大河ドラマの「太平記」(1991)では宮崎萬純さんが演じてたぃねー)「尾島かるた」では「つ(つつじ咲く勾当内侍の花見塚)」の札になってるんみて。
花見塚公園の説明文
(打ち込もうと思ったけんど長げんで・・・デジカメ撮影のまんま掲載) 今が盛りのあの「館林のつつじが岡公園」のつつじとも、なっから深ぇ因縁があるんだねぇ。この公園の整備の時に、つつじに館林の若木のつつじを求めたってゆうんもまた縁がふけぇやぃな。
・・・奥まで歩を進めてみたで。
勾当内侍の墓(右)と義貞公の首塚(左)とされる五輪塔五輪塔裏の小さな碑には「古木柊之蹟」とある勾当内侍の墓・説明文
・・・これも長げんでデジカメ撮影のまんま掲載 勾当内侍は、京都の嵯峨の往生院の辺りに庵を結び義貞公の菩提を弔ったといゆう説、滋賀の堅田で義貞公戦死の悲報に接し悲しみの余り入水自殺されたとされる説(後にそこに野神神社が祀られてる)、その他にも勾当内侍の墓所とされてるところは日本各地にいくつかあるらしいんさ。
まぁもし遺された愛妾が新田に来ただけでも一大事なんに、義貞公の首級まで新田に運び込んできちゃったとしたら、反幕府勢力に利用されるのを恐れて、足利氏にすぐさま征圧されちまうような気もすらぃね。(別の伝説で、義貞公の首級は新里の善昌寺に運び込まれたとゆうものもある)
オレの勝手な考えだけんど・・・
生品神社での挙兵後、新田の地に残った義貞公の妻たちについては、その後どうなったんかわかんねんだけんど、ひょっとしたら彼女たちが、義貞公の死後、この辺りでひっそりと菩提を弔ってたんかもしんねぇね。後世に『太平記』で勾当内侍があまりにも有名になっちゃったんで、いつしかごっちゃになっちまったんじゃねぇかと・・・
まぁ伝説として郷土に伝えられてるもんは、それはそれで大切にした方がいぃだんべって思うんさね。その真相究明は後世の連中たちのタイムマシンでの検証に委ねることにすんべぇか。
最近の冷え込みのせいか、園内のつつじはまだ蕾のもんが多かったぃね。
満開になった頃にまた来てみんべぇや。
花見塚公園・勾当内侍の墓 (Yahoo!ロコ)
【画像の追加】
4/30に再び行ってみたんさね。前回つぼみだったんもキレイに咲いてたで。
つつじはまだまだ若木だけんど、後世にまっと絢爛になればいーやぃねぇ。
いちよー「東毛花めぐり」タグにも分類しとくかね。