太田の町中に突き出た金山丘陵の支脈の小丘、天神山の山頂付近にある新田・細谷村(現太田市)出身の高山彦九郎公を祀った神社。(明治12年に社殿が中腹に作られ、昭和7年に山頂付近に遷座) 戦前は明治維新の礎となった勤王思想家としてまっさか有名で教科書にも載る人物だったそうだけんど、戦後は残念なことに評価が一変しちまって、地元太田でもその業績を知る人は少なくなってらぃね。(太田市細谷には、「
高山彦九郎記念館」もあるんだけんど・・・こう書いてるオレも実はまだ行ったことねぇやぃね。)
彦九郎公は思想家としても有名だけんど、いくつもの訪れた日本全国津々浦々の自然や地形や習慣・風俗なんかを実に詳細に記録してるんさね。その時代にネットとデジカメがあったら、おーか名の知れた「ブロガー」になってたんだんべなぁ。桐生の梅田にあった忍山鉱泉への旅行記『忍山湯旅の記』は、当時の記録に乏しい太田北部の様子もよくわかる貴重なもんなんだぃね。
さて金龍寺方面から、日が傾きつつある中、天神山の西を迂回して本町側から上ってみた。最初の鳥居をくぐるとちっと遊具があって、左に社務所をみて北に目を転ずると、かなりの長げぇ石段。
実はオレはここに来たんは四半世紀ぶりなんだけんど、石段ってこんなに長かったっけかな。ここは今も昔も、よく高校や大学の運動部が鍛錬に使ってるそうだぃね。上りきると鳥居・・・が高山神社の名が記されてねぇし。目の前には山頂付近が平坦に削平されてて、立派な拝殿。
鳥居をくぐって/拝殿に「高山神社」/立派な社殿
横から見っと、立派な本殿あり。境内にはもともとが天神山だけに?学業の願いが多く書かれた絵馬がかかってらぃね。(ぜひ高山神社オリジナルの絵馬を作ったらどうだんべか?)
・・・うーん、高山神社の境内ってこんなに広かったっけかな??・・・四半世紀前の記憶なんて実に曖昧なもんなんだぃなぁ。
・・・太田の高台に祀られた彦九郎公は、現代の太田や日本をどうゆう想いで眺めてるんだんべか?
高山神社 (Yahoo!ロコ)
(もひとつ続く)
【追記】
高山彦九郎記念館に行ってみたで。 (2010年8月28日)
【追記】
2014年12月30日夜、高山神社の本殿と拝殿が焼失。不審火の疑いありとのこと!犯人に天誅を!