紅葉の金龍寺 (太田市金山町)
仕事が予想外に早く終わったんで、夕暮れ迫る紅葉で有名な太田市の金龍寺へ行ってみたで。太田市の有名な紅葉スポットとゆうこともあり、すんげぇカメラを抱えた人たちでいっぺぇ。たまたま車内にあったおーか安しぃコンデジで撮ってるオレは肩身が狭めぇやぃねぇ(笑)
金龍寺は大光院の北、金山西山の麓にある曹洞宗の古刹。義貞公の死後、新田氏の一族である岩松満純が諸堂を修築し、後に越前・丸岡の称念寺から義貞公の遺骸をここに移して廟所が建てらたんだそうだぃね。義貞公の三百回忌に当たる寛永14年(1637)に造立された「新田義貞公供養塔」があるんさね。
太田市ホームページから引用すっと
金龍寺は曹洞宗の寺で、寺伝によると、寺名は新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだものです。創建は応永24年(1417)に横瀬貞氏がその祖とした新田義貞を追善供養するため開基したとされています。近年の研究によれば、金山城の重臣であった横瀬氏が文明年間(1469~1486)に創建したとする説が有力です。
その後、金龍寺は下剋上により新田(岩松)氏を退け金山城の実質的な城主となった横瀬氏(のち由良氏)一族の菩提寺として興隆しました。しかし、天正18年(1590)、金山城の廃城に伴ない、由良氏は常陸(茨城県)牛久に移封され、金龍寺も寺僧とともに同地へ移りました。現在の金龍寺は慶長年間(1596~1615)に、この地を領した館林城主榊原氏により再興されたものです。
で、「新田義貞公供養塔」だけんど、紅葉の撮影と、日の落ちねぇうちに次の計画実行をと焦っちまって、すっかり撮影するんを忘れちまった。・・・何たる失態。あとでもう一度行ってみっかな。
いちよー「新田氏関連史跡めぐり」にも追加しとくか。
(太田夕暮れ編・つづく)
金龍寺(ちず丸リンク)
紅葉の石段
六地蔵
石段の途中より六地蔵
本堂
あぁ、まっといいデジカメがほしい・・・・