長楽寺総門・山号は世良田山
長楽寺の歴史をWikipediaから引用すっと
1221年(承久3年)世良田義季の開山、臨済宗の僧栄朝を開山として創建されたという。早い時期から官寺として扱われていた。室町時代初期(南北朝時代)には関東十刹のひとつに列せられた。開基当初は臨済宗であったが、徳川家の祖とされる世良田義季(得川義季)が創建したとされることから徳川家の帰依を得、江戸時代江戸幕府に起用された天台宗の僧天海により天台宗に改宗となった。
世良田義季が得川とも名乗ってたんで、家康はここを自らの祖にしたんだぃね。まぁ結果的にそれで大いに長楽寺が庇護されたんだけんどね。
長楽寺には多くの重要文化財や「長楽寺文書」が残されていて、中世東毛の姿を知るんには貴重なもんなんだぃね。鎌倉攻めの前、密かに鎌倉を脱出した足利千寿王(後の足利義詮)が身を潜め、義貞公の生品神社での蜂起のあと、数日後世良田で千寿王を奉じた第2次蜂起があったと推定されてるんだけんど、潜伏先はここ長楽寺だったんかもしんねぇね。
撮ってきた画像をいくつか
勅使や上司の参向のみ開扉されたという勅使門
本堂・平成15年改築 石段がなくバリアフリー構造
三仏堂(群馬県重要文化財)・釈迦、阿弥陀、弥勒の過去・現在・未来の三世仏が安置
竜宮伝説の残る蓮池と渡月橋
太鼓門(群馬県重要文化財)・楼上に太鼓がかけられ行事の合図にされたという
栄朝を祀る開山堂・左の木の割れ目にハチがいっぺぇ!注意!
文殊山・徳川義季公累代之墓
長楽寺宝塔 (国指定重要文化財)
新田公並一族徒臣供養塔
さすが長楽寺。歴史公園の中核をなし、広く立派。
樹木も鬱蒼と生い茂り、歴史ある名刹の雰囲気十分だぃね。まっと早く来てみりゃよかったぃなぁ。
さて最後に、太田市立新田荘歴史資料館に行ってみんべぇや。(つづく)
長楽寺 (ちず丸リンク)
▼追記
「おおたんの史跡探検スタンプラリー」(2010)のスタンプ