世良田東照宮 (太田市世良田町)
先週
日光の東照宮に行ったときに、子供たちに「実は家の近くにも東照宮があるんだよ」と教えてやったんさね。日曜、仕事もあるんで遠くへ行げねんで、約束通り?世良田東照宮に行ぐことにしたで。・・・オレは
地元の歴史や文化を子供のころから良く知っておくことは、きっと将来に役立つんじゃねぇかと信じてるんだけんどね。
太田市に合併する前の旧尾島町は「徳川氏発祥の地」と喧伝してたけど、若い頃のオレは「家康は征夷大将軍として幕府を開くために、新田氏一族の世良田氏の末裔に系図を改正したんじゃねぇか」とちっと冷ややかな目で見てたんさね。この辺一帯の歴史公園には、近くは何度も通ってるんだけど、なぜかここには一度も来たことがなかったんだぃね。
まず、今日はここ尾島の歴史公園の世良田東照宮→長楽寺→太田市立新田荘歴史資料館(旧東毛歴史資料館)とゆう順番で見学してみることにしたんさ。
境内
説明板(手書き)
絢爛な朱塗りの拝殿があるんだけんど、柵があって近寄れねぇ。拝殿から奥は拝観料がいるんみて。せっかく来たんで拝観料300円也を社務所で支払って見学することにしたで。(ちなみに日光の東照宮は拝観料1300円だったぃね。)柵は正月三が日は取っぱらわれるらしいで。
境内の地図は、
世良田東照宮の公式サイトをご覧いただくとして、撮ってきた画像をいくつか。(それにしても東照宮は日光といい「おみくじ」の種類がまっさかいっぺぇだぃなー)
鉄燈籠(元和4年銘)(重要文化財)奥は宝物館
拝殿(重要文化財);三葉葵の提灯
唐門(重要文化財)
本殿(重要文化財)
本殿彫刻(巣籠りの鷹)伝左甚五郎作、狩野探幽画
歴史はWikipediaから引用すっと
この地は新田氏の開祖新田義重の居館跡とされ、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。
寛永21年(1644年)、3代将軍徳川家光の命により、徳川氏の遠祖の世良田義季の墓があり、天海僧正が住職をしていた長楽寺の境内に創建された。歴代徳川将軍から信仰され、江戸時代は大いに栄えた。明治8年(1875年)、神仏分離によってに長楽寺から分離し、明治12年(1879年)に郷社に列格した。
世良田には関東三大祇園ともゆわれた祇園祭もあって、昔はそれはたいそうな賑わいだったみてぇだけんど、時は流れてだんだん衰退しちゃってったみてぇだぃね。オレが中学の時には、世良田中が尾島中に併合されるんで、その抵抗運動が結構な話題になってたんだぃなー。
子供たちに感想を聞いてみたで。「日光から比べると・・・ねぇ・・・」だそうだぃね。まぁ仕方ねぇかな。こっちもあんな豪華絢爛にしてたら、徳川幕府も財政破綻しちゃっただんべからなぁ。
ちなみにここには観光地でおなじみの顔のところがくりぬいてある記念写真用のボードが2つもあるんさ。
東照宮だけんど、さすがにここには日光みてぇに三猿や眠り猫はいねぇんか?と思ったら、三猿はいなかったけど・・・道端に
リアル眠り猫がいたで(笑)
さて次は隣接する長楽寺に行ってみんべぇ。(つづく)
徳川氏発祥の地世良田東照宮 (公式;FLASHも使ってあるで!)
世良田東照宮 (ちず丸リンク)
▼「おおたんの史跡探検スタンプラリー」(2010)のスタンプ