2009年 08月 19日
十寄神社 (東京都大田区)
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十寄神社 (東京都大田区)

 新田神社を後に、南へ歩く。
 次の目的地は義興公と共に討死された新田党十人(十騎)の従者を祀る「十寄神社」。案内板には徒歩5分とあるが、暑ちぃ中、しかも慣れねぇ葬儀帰ぇりの革靴(わぐつ:アクセント注意(笑))なんで、おーか長く感じらぃね。

 住宅街の中に十寄神社があった。社殿は近年再建されたみてぇで、まだその朱色が妙に周囲と馴染んでいねぇやぃね。願い事がある者は、初めに十寄神社を参詣してから新田神社へ行くと、その願い事が叶うという言い伝えなどもあるんだそうだけんど、まるっきり逆に参拝しちまった。 orz

 『太平記(巻第三十三)』では、その十人の中に世良田右馬助、大嶋周防守、由良兵庫助、由良新左衛門などの名がある。世良田も由良も大嶋も上州新田の地名を冠した姓だねぇ。上州から義興公とずっと行動を共にしてた新田一族だったんだんべなぁ。
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十寄神社・狛犬 ここにも大中黒

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鳥居左横に「十騎神社」の小社もあるんだけど?

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社殿裏の大木・複雑な幹

 次にこっから義興公が憤死されたっつー「矢口の渡」に行ってみた・・・が、ちっと道をロスト。散歩中のお年寄りに「あのー「矢口の渡」はどこでしょうか?」と伺ったら、説明が悪かったんだか、武蔵新田駅の次の「矢口渡」駅の場所を(丁寧に)教えてもらって更に道に迷っちゃった(笑)ここいら辺結構道が入りくんでる上に、全く道案内看板もねんさね。オレの携帯はGPS携帯じゃねんねで自分がどこにいるかわかんねぇし。歴史ヲタクのためにちゃんと作ってくれりゃいんに>大田区 

 やっとこすっとこ多摩川の堤防に辿り着いたはいんだけんど、すっかり革靴で両足踵に「靴ずれ」ができちまって痛てぇのなんの。そんなんで「矢口の渡し跡」や、行ごうと思ってた13名のうち岸に泳ぎ着いた後、包囲する敵の陣に襲いかかり奮戦討死した3名(土肥三郎左衛門・南瀬口六郎・市河五郎)を祀った「三体地蔵尊」の散策は断念して、泣く泣く引き返ぇすことにした。(東京の人は暑ちぃのに、せっせと堤防をランニングしてるんにはまっさか感心したで。)
 義興公の時代には多摩川はもっと新田神社側を流れていたとゆう言い伝えもあるんだそうだぃね。(矢口の渡については稲城市の矢野口とする言い伝えもある)
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多摩川・矢口の渡跡付近

 とぼとぼ歩いてぐと運良く武蔵新田の商店街に出られた。武蔵新田から渋谷に出て、湘南新宿ラインに乗って葬儀参列に乗じた東京見物も終了。東京にも新田一族の足跡はいっぺぇあるんだねぇ。東京の人たちに、大切にしてもらってることもわかってよかったよ。

 N先生、おかげさんで有意義な散策がでぎたよ。「やっぱセンセはヲタクですなぁ」と天国で笑ってくんなぃ。(了)

b0004675_0545276.gif 十寄神社 (ちず丸リンク)


【参考文献&サイト】
新田神社 (公式サイト)
現地案内板
『太平記』 (巻第三十三)
峰岸純夫 人物叢書239 『新田義貞』 p132-134 吉川弘文館 2005
久保田順一 『新田一族の盛衰』 p168-180 あかぎ出版 2003
奥富敬之 『新田諸族と戦国争乱』 p278-280 新人物往来社 1991

【追記8/23】
この件を記した『武蔵新田縁起 新田義興をめぐる時代背景』(松原武志 今日の話題社 2003)をネットで購入。新田義貞の件は、新田次郎の小説におーか影響されてる記述はあったけんど、多摩川周囲の歴史的背景がよくわかったぃね。
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by dr_suzuki | 2009-08-19 17:48 | 群馬を離れて | Trackback | Comments(0)
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