2009年 06月 06日
生品神社 (太田市新田市野井町)
b0004675_13113638.jpg
最近、峰岸純夫氏の『新田義貞 (人物叢書)』を読んでらぃね。義貞公の生品神社の挙兵は鏑矢祭の行われてる5月8日なんだと思ってたんだけんど、太陽暦に直すと梅雨真っ只中の6月28日とのことなんだそうだぃね。

 梅雨時の生品神社ってどんな感じなんかと思って、改めて行ってみたんさね。

b0004675_13141375.jpgb0004675_13144390.jpgb0004675_13145333.jpg

 入り口には稲村ガ崎での義貞公の像がある。挙兵六百五十年碑の揮毫は群馬の生んだ宰相中曽根康弘氏。荒涼とした冬の時とは違って、鬱蒼とした木々が生い茂り、まさに神域の雰囲気十分だぃね。
b0004675_1315369.jpg
義貞公像

 義貞公の生品明神での挙兵の様子は、『太平記』ではこう記されてるんさ。
『太平記』(巻大十) 新田義貞謀叛事付天狗催越後勢事
(前略)
同五月八日ノ卯刻ニ、生品明神ノ御前ニテ旗ヲ挙、綸旨ヲ披テ三度是ヲ拝シ、笠懸野ヘ打出ラル。相随フ人々、氏族ニハ、大館次郎宗氏・子息孫次郎幸氏・二男弥次郎氏明・三男彦二郎氏兼・堀口三郎貞満・舎弟四郎行義・岩松三郎経家・里見五郎義胤・脇屋次郎義助・江田三郎光義・桃井次郎尚義、是等ヲ宗徒ノ兵トシテ、百五十騎ニハ過ザリケリ。此勢ニテハ如何ト思フ処ニ、其日ノ晩景ニ利根河ノ方ヨリ、馬・物具爽ニ見ヘタリケル兵二千騎許、馬煙ヲ立テ馳来ル。スハヤ敵ヨト目ニ懸テ見レバ、敵ニハ非ズシテ、越後国ノ一族ニ、里見・鳥山・田中・大井田・羽川ノ人々ニテゾ坐シケル。義貞大ニ悦テ、馬ヲ扣テ宣ケルハ、「此事兼テヨリ其企ハアリナガラ、昨日今日トハ存ゼザリツルニ、俄ニ思立事ノ候ヒツル間、告申マデナカリシニ、何トシテ存ゼラレケル。」ト問給ヒケレバ、大井田遠江守鞍壷ニ畏テ被申ケルハ、「依勅定大儀ヲ思召立ルゝ由承候ハズバ、何ニトシテ加様ニ可馳参候。去五日御使トテ天狗山伏一人、越後ノ国中ヲ一日ノ間ニ、触廻テ通候シ間、夜ヲ日ニ継デ馳参テ候。境ヲ隔タル者ハ、皆明日ノ程ニゾ参着候ハンズラン。他国ヘ御出候ハゞ、且ク彼勢ヲ御待候ヘカシ。」ト被申テ、馬ヨリ下テ各対面色代シテ、人馬ノ息ヲ継セ給ケル処ニ、後陣ノ越後勢並甲斐・信濃ノ源氏共、家々ノ旗ヲ指連テ、其勢五千余騎夥敷ク見ヘテ馳来。義貞・義助不斜悦テ、「是偏八幡大菩薩ノ擁護ニヨル者也。且モ不可逗留。」トテ、同九日武蔵国ヘ打越給フニ、紀五左衛門、足利殿ノ御子息千寿王殿ヲ奉具足、二百余騎ニテ馳着タリ。是ヨリ上野・下野・上総・常陸・武蔵ノ兵共不期ニ集リ、不催ニ馳来テ、其日ノ暮程ニ、二十万七千余騎甲ヲ並べ扣タリ
(後略)
 大中黒の旗を掲げたとゆう檪の幹が覆屋をかけられて残ってる。説明書きにはこうある。
b0004675_1317245.jpg
神代木
此の木は檪なり、新田義貞公挙兵の際大中黒の旗を此の樹に掲げ戦捷を祈願す。
爾来鬱蒼とし繁茂せり、周囲二丈余高さ十丈にたっす
明治三十七年六月九日白晝静穏の時大音響ありて倒れたり、依って其の一部を遺し滋に記念とす。
爾後春秋星霜九十有余年風化に依り腐食朽壊の状なり、依って燻蒸処理をしポリウレタン系合成樹脂加工に依り脆弱破損部の強化修復をし最後シリコン剤添付に依り保護処理した、同時に覆屋を新築して未来永劫後世に遺すものとす

 新田義貞公挙兵六百六十六年際に際して 生品神社
 現代科学の粋、ポリウレタンとシリコンで保護・補強たぁすげぇやぃね!

b0004675_23433085.jpg

 鬱蒼とした木々。周囲よりほの暗く、静寂な境内。
 挙兵は午前6時ごろだったらしいけんど、梅雨時だと同じような明るさだんべか?

 耳を澄ますと六百有余年の時を経て、新田一族の勝鬨が聞こえてきそうな雰囲気だぃね。

b0004675_23412891.jpg
旗挙塚


b0004675_23304470.gif生品神社 (ちず丸リンク)


【悲しい追記】
報道によると、2010年2月17~19日の間に、何者かがあの新田義貞公の銅像を盗んじまったらしい!!
許し難き悪行!犯人に天誅を!!!

2010年3月26日に再訪してみたんさね。
生品神社ノ新田義貞公銅像盗難セラルル事



b0004675_22172763.gif【追記】
「おおたんの史跡探検スタンプラリー」(2010)のスタンプ



【追記】
ついに行ったで!鏑矢祭
生品神社 「鏑矢祭」 (2011年5月8日)
[PR]

by dr_suzuki | 2009-06-06 13:26 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(4)
トラックバックURL : http://mukidouan.exblog.jp/tb/11186264
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by 二つ山 at 2009-06-07 08:34 x
生品神社も、30年40年前と較べれると整備が進んだとゆうか、神社としての奉り方が正しい方向に進みつつあるようだいね。昔は、なんだか廃れた感じで、よく変質者が出没したりして、「女の子は夕方一人で近くを通っちゃいけないよ。」なんて言われてて、本当にこんなところで新田義貞が挙兵したんかな???って、?が3つくらい付いちゃうような朽ち果てた神社だったけど。
それと、ちょっと不思議だなと思うのは、挙兵に加わった一族の苗字で、生品に現存する(と思われる)苗字が、里見ってのを除くと殆ど見当たらないことだいね。謀反に加わったってカドで、一族追放とか、お取り潰しとかの刑罰を処せられて、いなくなっちゃったんかね?Dr.なら何でも知ってそうだいね。
Commented by dr_suzuki at 2009-06-07 08:45
▼二つ山さん
群馬の神社に「痴漢に注意」の看板はセットみてぇなもんだしね。

里見は新田乃庄の苗字じゃねぇやぃね。
オレは知り合いに「大館」さん(綿打出身)がいるで。
Commented by 二つ山 at 2009-06-09 08:21 x
大館さん、ていやあ、小学校の時の先生(尾島在)にいたっけな。
新田山(にたやま)という苗字は、新田乃庄の苗字ですか?
それと、うちの紋は、大中黒なんだけど、これは別に新田家家来だったからということじゃないよね?水呑み百姓だったご先祖さんが、「うちでも紋を付けるか」って時に、勝手に一番ポピュラーな大中黒を選んで付けたもんだと踏んでますが、そんなもんだよね、多分。
Commented by dr_suzuki at 2009-06-09 18:46
▼二つ山さん
新田山は万葉集に詠われてる「金山」という説もあるけんど、新田乃庄の苗字かどうかわからねぇやぃね。
それにしても家紋が大中黒とは、すげんねー。今でも家紋って自由に決めていーらしいからオレんちも大中黒にしちゃおーかな(笑)


<< 8J1M 前橋市中核市移行記念...      重殿水源 (新田市野井町) >>