矢止の松 (太田市新田反町町)
仕事帰ぇりに旧新田町の新田氏関連遺跡を訪ねてみっかと思い、まずはちっとマイナーなもんもと思い「矢止めの松」に行ってみたんさね。
ジョイフル本田の道を南に下ってぐと王子製鉄工場の手前の畑の中にポツンとある松の木。道端の案内看板の脇からコンクリートの道を進んでぐと、この松があるで。
脇には石祠や「新田義貞公矢止之松」の石碑、昭和13年の銘文碑が建ってるんさね。
んじゃぁ、碑の文をがんばって転載してみんべぇか。
新田義貞公矢止之松之碑
元弘三年五月八日新田義貞公生品祠前ニ義兵ヲ挙フルニ當リ軍ノ吉凶ヲ占ヒ遥ニ
鎌倉ニ向ッテ矢ヲ放チ諸将皆之ニ傚フ其矢ノ中強弓ノモノハ此祠ニ至リテ止リ就
中源朝臣義貞ト彫リクル矢菎深ク松樹ニ射込ト云フ依テ矢止メノ松ト稱シ近年迄
老松在リ又祠ハ矢止ノ稲荷ト言ヒ此地ヲ矢止ト稱ス振矢ノ地ハ矢ノ降ルコト雨ノ
如キヲ以テ其名有リ
今ヤ公ノ戦歿六百年ヲ迎エ其偉勲ヲ追慕スルノ情又新ナリ茲ニ矢止之松ノ碑ヲ建
設シ此遺跡ヲ永遠ニ保存セントスルモノ也
昭和十三年五月
石祠は「矢止の稲荷」ってゆーんだ。老松は(おそらく)明治時代に枯れちまって、後に新たに植えられたもんらしい。戦前、義貞公が南朝の忠臣として今よりまっとあがめられてたころは、だいぶ見物人も多かったんだんべなぁ。
しっかし冷静に考えてみっと、北にある生品神社からここまでは直線距離で
約2km。いくら義貞公が豪の者であったとしても、現在の県道2号線、そしてジョイフルをも越え、2kmも離れたここまで矢を飛ばしたって話はちょっとねぇ・・・迫撃砲ならまだしも弓矢だかんなー。あまりに伝説色が強ぇせいか、最近掲示されてる新調された太田市の案内看板「新田荘遺跡案内図」にも、この松のことは見事にスルーされてらぃね。でも「ちず丸」にはちゃんと「矢止め松」が載ってるなー。
矢止の松 (ちず丸リンク)