昔、
反町薬師に行った時、新田町の観光看板「太平記の里」があったんに気づいたぃね。そこの上のほーに「
蛙又の木」っつーんがあっるんをめっけたで。そこを拡大して引用してみっと・・・
・・・こりゃいったいどんな木なんだんべか??いっちょみてみっか!と思って早速そこにいってみたんだけんど・・・はぁすでにその木はとっくの前に
枯死しちゃってたらくしく、注連縄の残骸をまとった枯れちまった幹が1.5mぐれぇしか残ってなかったんさねorz (こんなんなら観光看板に載せんなよ・・・って感じ)
ここは薮塚から来た道が新田方面に分かれる三叉路になってんだけんど、そばには「道しるべ」(昭和八年六月建立 生品村山林保護組合)や石祠があって道しるべには「名木かへるまた」って彫られてたぃね。ここは
蛙又三叉路ってゆうらしい。蛙又ってことは、ここには根元からにょきっと上に伸びる2本の幹があるまっさか立派な木があったじゃねぇん?・・・いったいその名木ってどんな木だったんかな? まぁ枯れた幹べぇじゃ、ぜんぜん絵にもなんねぇんでブログのネタにもなんねぇし・・・ってことでお蔵入りのネタに。
時は流れ、この三叉路の東側の道が、薮塚~新田をつなぐ道として片側1車線ながら広く整備されたぃね。通勤の傍らここを通ってたんだけんど、工事で枯死したあの幹もいつしか撤去され、石祠も道しるべも道路の反対側の東側にぽつんと移されたぃね。(車でもぶつかったんだか、道しるべも真っ二つに折れちゃってて、修繕が施されてるんだけんど) そばには将来の名木蛙又になるべく?小さな2又の樹が植わってるんさね。
現在の「道しるべ」(2009年)
で、・・・こないだ八王子丘陵のことを調べるんに何気なく『薮塚本町誌』をめくってると、なぜかこの蛙又の木が(新田町の木なんに)載ってたよ。せっかくなんで?引用してご紹介。
「蛙又の大檪」 『薮塚本町誌』より
「
蛙又の大檪」きゃぁ。昭和55年ごろにはまっさかでっけぇ立派な檪(くぬぎ)の木だったんだねぇ。まぁ長年気になってた伝説の木の姿がわかってよかったかな。・・・・でも樹木には明るくねんだけんど「蛙又の檪」ってそんなに珍しいモンなんかな・・・??
蛙又三叉路 (ちず丸リンク)
【参考文献】
『薮塚本町誌』 p602, 薮塚本町, 1991,