「新川球場を偲ぶ」の碑
新川公園/公園北(ここがマラソンのスタート地点)/芝生
堀祐平氏顕彰碑/ライオンズクラブの碑/桐生図書館より新川公園
今日は桐生市立図書館に調べ物があって行ってきたんさ。図書館の隣は、
桐生市堀マラソン大会の会場ともなっている新川(しんかわ)公園だぃね。桐生駅南の街中にある遊具もない芝生と池だけの公園さね。ここはマラソン大会の名にその名を冠されている堀祐平氏が私財を投じて作った新川球場の跡地だぃね。
1927年桐生中学が夏の甲子園に出場したことを記念して新川の沿いに野球場を完成させたんだと。その後、桐生中学は稲川東一郎監督の下、甲子園で活躍、春のセンバツでは準優勝2回、ベスト4を1回を果たし甲子園の常連校となったぃね。(通算出場回数26回(春12回、夏14回)も県内最多)終戦直後には、再開したばかりのプロ野球の東西対抗戦の
第2戦が神宮球場が使えなくなった代替として、ここで開催されたんだと。球都・桐生にふさわしい逸話だぃね。その後も桐生には多くの野球人が生まれ、1999年には夏の大会で桐生第一高校が全国制覇をしたんは記憶に新しいとこだぃね。
その後、新川球場はカスリーン台風で大打撃を受けるも、1961年に野球専用のグラウンドに生まれ変わり球都の礎を支えたんだぃね。しかし1987年に老朽化のため解体されて現在の新川公園になったんだと。今でも上のように公園の一角には「堀祐平氏の顕彰碑」と「新川球場を偲ぶ」という碑が建ってらいね。
かつて栄華を極めた街・球都桐生。当時のプロ野球で現在のJリーグのような地域で支えるクラブチームでの運営・参戦が可能だったら、ここ新川で「桐生シルクス」なんてプロ野球チームもできてたかもしんねぇなぁ。最近、桐生市は「野球博物館」を計画中って話を小耳に挟んだけんど、博物館に最適なんは、ここ新川球場跡じゃねぇんかねぇ。(公園なくなっちゃうけど)
こないだ
三束雨さんのブログで新「ぐんまカルタ」が紹介されてたぃねぇ。「え」の札は栄冠は君に 高校球児」なんだけんど、絵札が勝ってるチームのユニホームのデザインは「MAEBA」になってるけんど、やっぱ「KIRYU」のほーがいんじゃねん??
新川公園 (ちず丸リンク)
・・・忘れもしねぇ昭和59年夏の群馬県予選、母校太田高校が桐生高校を破ってベスト4に進出したときには、「あの野球の名門に勝ったで~!」ってみんなで大喜びしてスタンドで校歌を大合唱したっけなー(笑) そこで運を使っちまったんだか、次、負けちゃったけんどね。