2009年 02月 15日
雷電山 (太田市薮塚町湯ノ入) ~ 古の狼煙場を訪ねて
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雷電山(太田市:193.6m)山頂と石祠
県道桐生新田木崎線より雷電山を臨む/切通しの入口/ここが水場らしい
虎口の石垣/山頂に到着/山頂より根元山を臨む

 今日の目標は、砦跡があるとゆう雷電山を探検。

 以前、サイトを彷徨してるとアオ氏のサイト「北緯36度付近の中世城郭」に行き当たり、そん中の「群馬県太田市周辺の城郭」で、雷電山砦が詳しく紹介されてたんさ。太田市教育委員会の「太田市の文化財」では「のろし場として利用され、現在、腰郭・堀・竪堀などが残る。」あるで。こないだ太田市の文化財課で小字図である「太田市地籍集成図」(昭和63年)を見せてもらったとき、この山の山頂は薮塚領分だったぃね。(後に市町の境界の変更があったんか、旧太田市/新田郡薮塚本町の境界の山になったみてぇだ。;文化財情報システムでは備考に「2市町に跨るため、太田市と協議の上位置を整合した」とある)現在は市町村合併で太田市になってるんだけんどね。何度か行ぐ機会を窺ってたんだけんど・・・ここの難点は最寄に駐車スペースがねぇことだぃね。

b0004675_23335582.jpg 薮塚温泉街を通ってぐと、メインストリートの前面に円錐状の山がめぇる(左)。それが雷電山だぃね。雷電山ってことは山頂に雷電宮があるんだんべぇ。こないだ楚巒山楽会代表幹事さんが登って、山頂の西側にぼっこわれてた石祠を発見して復元してきたっつー話だぃね。ちょうど蚕影山との鞍部が切り通しになってる県道の脇に強引に車を停められるような気もすっけど、ここはカーブで見通しがなっから悪りぃんで通行の妨げになるような気がして、気が引けた。今日は天気がいーんで、ちっと遠くから歩ってみてもいいかと思い・・・山向こう(笑)の桐生市の斎場入口の駐車場に車を停めて、県道桐生新田木崎線沿いに歩って籾山峠を越えて、ゴルフ場の脇、西長岡への分岐を道なりに薮塚方面へ、てくてく歩ってぐ・・・陽気がいーせいか、予想以上にスギ花粉が飛んでるようだぃね。鼻づまりとくしゃみが・・・・更に進むことしばし、切通しとなってる雷電山の雰囲気ある入口にたどりつく。

 入口から山を登ってぐと土壇?があって、そこの西側の岩がむき出しのところに水が湧いてた。ここは水場として使われてたとゆうことだぃね。更に上に登ってぐと確かに石垣が存在してるところがある。ここが虎口なんか。上に行ぐと・・・・この辺からあたりは背丈もある猛烈な笹薮だらけorz これを凌ぐべぇで、全然周囲を見る余裕なんかなくなってきたで。でも山肌は段郭状になってるのは浅学なオレでもわかったで。藪を漕いでいぐことしばし、急に辺りが開け山頂に到達。山頂の西側には楚巒山楽会代表幹事さんが復元したとゆう石祠を発見。これが雷電宮なんだんべなぁ。湯ノ入の北東のほうからも上ってきられるんかな?

【追記】『薮塚本町誌・上』(1991)によると、この石祠には「明和四亥年八月吉日」と彫られてたらしい。はぁ読めなかったんだけんど。明和四亥年は1767年。

 山頂で無線をやってみたら、さいたま市の局と交信できたんだけんど「太田市の雷電山との交信は初めてです」とゆわれたで。そりゃそうだ、こんなところで無線をやる酔狂なヤツもきっと空前絶後だんべぇからな(笑)

 下りはまたもや激しく笹薮に苦しめられ、見事に道をロスト。枯葉に足を滑らせ、県道を走る車の音を頼りにやっとのことで下りられたけんど、上ったところからはるか東側に下りる始末。

b0004675_23342641.gif 【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのルートデータを読み込んだものを引用(往路のみ)。ルートは短けぇんだけんど、薮漕ぎのため時間は結構かかってる。フラッグマークは石祠(北緯36度21分52秒25,東経139度19分38秒21;標高189.5m)】

 ここは八王子山、茶臼山や丸山から比べっと、その遺構がまだまだ残ってるみてぇだから、ぜひ太田市は金山みてぇに、ここに砦を復元したらどうだんべか?薮塚温泉のこれまでとは違う名所になるんじゃねぇんかねぇ。

 帰ぇりもまた県道沿いを引っ返して、籾山峠を目指しててくてく歩ってぐ。(つづく)

【参考サイト】
群馬県太田市周辺の城郭」 (北緯36度付近の中世城郭)
太田市の文化財 (太田市教育委員会)
蚕影山 (やまの町 桐生)

【参考文献】
『薮塚本町誌・上』 p281-287,及び p862 , 薮塚本町 1991

【追記】
『藪塚鑛泉案内』(今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926)の「名所とご舊蹟」p24に雷電山の記述があったんで引用するで。
『藪塚鑛泉案内』 p24
 雷電山

湯の入鑛泉の後方の峯續きて東端が可成りの高峰になって頂上には老松數樹と、石宮の雷電神社が祠れてゐる。四顧展開して風景は、頗る勝れて居る。山の中段に馬場跡あり、建武の昔新田義貞公が見付を置き、馬場を造り、多くの將卒を練習せられし跡なりと言ひ傅へられてゐる。同所には組合にて露臺數基を据え付け遊覧者の休息所にあててある。
・・・すでに80余年前に観光地化されてるし(笑) 新田義貞公云々は後世の資料じゃみることができねぇやぃね。戦前は義貞公は南朝の忠臣だったんで、義貞公のネームバリューにあやかったもんなんだんべね?

『薮塚本町の民俗』(1974) p82には以下の記述がある。
雨乞い 部落中でやる。雷電山にある雷電様へ神酒をあげ、水を持っていって石祠にかけ、太鼓を打ち鳴らして雨を呼ぶ。降るまでやる。三日間続けたことがある。どうしても降らないと赤城神社(大洞)や板倉の雷電神社へ一升ビンを持ってお参りに行き、水を受けてきて、又やった。
 雨が降るとアメップリとしてお礼をした。(湯ノ入)
 地元の庶民としては、城郭や馬場跡っつーよりも雨乞いの場所だったんだんべな。雨乞いもやる時代じゃねぇから石祠も壊れたまんまだったんかもね。
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by dr_suzuki | 2009-02-15 23:51 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 楚巒山楽会代表幹事 at 2009-02-16 16:18 x
この雷電山に登る人自体が希少に思えます。石祠の北と西側にきれいな踏み跡があるのでチョッと気になりました。諏訪山も機会がありますれば、登ろうと思います。
Commented by dr_suzuki at 2009-02-16 16:29
▼楚巒山楽会代表幹事さん
お互いに希少種ですね(笑)
西の踏み後はヘアピンの県道あたり、それとも湯ノ入まで続いてるんかなぁ。北は御所山まで延びてるといいやぃねぇ。途中の鞍部近くにゴルフ場のイノシシ除けの高圧柵があるかもしれねぇからキケンかな?


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