2009年 02月 10日
二体地蔵塚 (太田市世良田町)
b0004675_2257537.jpg
二体地蔵塚 (太田市世良田町)

b0004675_22321852.jpgb0004675_22322961.jpgb0004675_22324184.jpg
b0004675_2233328.jpgb0004675_22331296.jpgb0004675_2257401.jpg
世良田公園の東に/道祖神/すでにボロボロの案内板
「黒沼彦四郎入道梟首遺跡」/墳丘部/お地蔵様2体

 久々の新田氏関連史跡めぐり。
 
b0004675_22385957.jpg 今日は旧尾島町の太田市尾島庁舎(左)の太田市教育委員会文化財課まで、八王子丘陵関係の文献の閲覧に行ってきたんさね。(職員の皆様あんがと~) 
 せっかく尾島まで来たんで、世良田に足をのばして「二体地蔵塚」をみてきたで。


b0004675_22431812.gif 旧尾島町世良田(現太田市世良田町)にある古墳時代の後期の円墳。この辺は以前は「世良田四十八塚」と呼ばれた古墳群があったそうだけんど、明治以降に開発され今はこの古墳を含め3基しか残ってねぇそうだぃね。でもここ二体地蔵塚は古墳とゆーより、新田氏の刑場として有名だぃね。(『上毛古墳綜覧』に「中古新田氏ノ刑場ナリシトイフ」とあるそうだぃね)

 古墳の上には「黒沼彦四郎入道梟首遺跡」(「梟首」とは晒し首のこと)と書かれた白い塔が建ってて、墳丘には2体の地蔵様が祀られてるんさ。この地蔵様の謂れを現地の表面がはげちゃって若干読みづらくなってた現地案内板から引用してみっか。
 元弘3年(1333)北条高時は西国(近畿地方)の乱を鎮めるため、弟泰家を大将として、十万の兵を京都に派遣することになった。その戦費を調達する必要から、関東地方の国々から臨時の税金を取り立てた。特に世良田には裕福な者が多いとして、出雲介親連と黒沼彦四郎入道の二人が使者になって、大勢の家来を引きつれて乗込み、五日のうちに六万貫の税金を差出せと強く要求した。これを聞いた新田義貞は法に過ぎた仕打であると怒り、直ちに家来に命令して出雲介を捕え、黒沼彦四郎の首をはねてさらし首にした。即ちここがその遺跡である。
 この一件で鎌倉幕府に強い反抗姿勢を示した義貞は、一族郎党を率い生品神社で倒幕の旗揚げをすることになるんさね。(ちなみにNHK大河ドラマ「太平記」(1991)でもこの一件の場面があったんだで。)
 
 その後、この古墳にはすんげぇ伝説が残ってるんさね。また説明板から引用すっと
 この塚について次のような伝説がある。昔、この塚の辺で毎夜人の争う異様な声が聞こえてくるので、村人は恐れをなし、石地蔵像を建立して供養したところ、その後怪しい声は止んだという。もとは一体であったが、後に普門寺にあった一体の地蔵を移し二体とした。その後、二体地蔵塚と呼ぶようになったのである。
 ・・・刑場らしいすんげぇ伝説・・・。現在は桜が植わっててシーズンは見事らしいで。旧尾島町と友好都市だった弘前市との記念植樹も植わってるし、花いっぱい運動の舞台になってるみて。でも今日は空っ風はなっから強ぇえわ、冬なんで花はねぇわで、まーずさびしかったけんどね。お地蔵様にちゃんとお参りして古墳を後にしたぃね。

 見学してぇ人?は旧尾島町が案内看板を設置してるんだけんど、ちっとわかりづれぇと思うんで世良田公園を目印に。古墳脇に駐車場がねんで、世良田公園に車を停めて、東に200mぐれぇ歩っててくんなぃ。

 二体地蔵塚古墳 (埼群古墳館)
 ・・・2002年撮影だそうだけんど、こん時は説明版がおーかきれい!今はもうボロボロだぃね。

b0004675_0574169.gif二体地蔵塚(ちず丸リンク)

b0004675_7102363.jpg

[PR]

by dr_suzuki | 2009-02-10 22:49 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://mukidouan.exblog.jp/tb/10332002
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 矢抜神社の山椿 (太田市新田下...      第62回上毛かるた県競技大会 >>