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2009年 01月 22日
摺鉢山 (太田市薮塚町谷津)
摺鉢山 (太田市薮塚町谷津)_b0004675_13574075.jpg
推定・摺鉢山(174m)を南よりのぞむ

 薮塚の西野地区の産廃処理工場の裏にある摺鉢山。ちょうどヘビセンターの裏山にあたる山だぃね。

 群馬県文化財情報システムによると、この山には「蚕影山古墳群」の表示があらぃね。蚕影は「こかげ」と読み、養蚕の神様のことだぃね。

 そもそも薮塚の西野地区は、薮塚の東端にあるんにどうして西野なんだんべかと思ってたら太田市史によると、西野は昔々西長岡の領分だったとの口頭伝承があるみてぇだぃね。西長岡の西の野なんで西野なんだんべか?西野の西福寺は西長岡の長岡寺の末寺だっつーし、北長岡の惟喬親王伝説では、親王の王子を葬った「稚児の松」(現在はその場所不明)ってゆーのも西野地区にあったって話だぃね。(郡村誌の薮塚邨の項には「新田西邨」との記述もある)

摺鉢山 (太田市薮塚町谷津)_b0004675_21494633.jpg摺鉢山 (太田市薮塚町谷津)_b0004675_21495520.jpg摺鉢山 (太田市薮塚町谷津)_b0004675_2150912.jpg
谷ツ池/3軒の廃屋の脇を進む/摺鉢山山頂付近(藪笹だらけ)

 「やまの町 桐生」で楚巒山楽会代表幹事さんが北の県道桐生新田線側から上られたその記事を読んだんで、南側のルートから登攀することにしたで。(オレは子供の頃から見てた八王子丘陵の太田側(南側)の山々を制覇してぇとゆう野望(笑)があるんさね。)

 まず産廃処理工場奥の「谷ツ池」の脇に車を停める。ここに来たんは1年ぶりだぃね。前回は「田山花袋も訪れた西長岡鉱泉「長生館」跡は何処に」の時だったんだけんど、そん時は長生館探索が目的だったんで山の途中で戻ってきちゃったんだぃね。今日はピークまで行ぐぞっと。

 山に入ぇってぐとすぐ左側に3軒の廃屋がある。この廃屋を長生館としてるサイトもあるんだけんど、それは間違げぇだぃね。それにしてもこの廃屋、昼間でもまっさか不気味だぃなぁ。夕方来たらきっと怖くて通れねぇな。
 廃屋の奥で道が不明瞭になったとっから右に向いて尾根に取り付き、こっから詰め上がる。所々倒木はあったりすっけど、たいして藪になってねんで一気にあがってぐ。山頂付近が近づく・・・楚巒山楽会代表幹事さんがレポートしてたように山頂付近だなぜか藪笹がてんこ盛り。藪笹を掻き分け掻き分け、蚕影様を祀った石祠を探してみたんだけんど・・・なんも見つからず。藪笹に顔面を叩かれチクチク痛てぇだけだったぃね。耳を澄ますと時折、ヘビセンターの放送やらが聞こえてくる。ヘビセンターを誘致したときに蚕影神社もどっかに合祀しちゃったんかもなぁ。そういやあるはずの古墳群のようなマウンドもよくわかんなかったなぁ。でもこれで八王子丘陵のピークを一つ制覇したんだから、まぁいっか。

 本日(1月20日)の探検はこれにて時間切れ。山から下りて家に戻る。 さて、次はどこに行ぐんべぇ? (了)

摺鉢山 (太田市薮塚町谷津)_b0004675_21492838.gif【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、ルートデータを読み込んだものを引用。ちなみに尾根に上がんねぇで、そのまんま正面に詰めて行くと、ヘビセンターの建物にぶちあたっちまうんさね。】


【追記】
『薮塚本町誌・上』(1991)によると、”三日月村の山頂”に「寛政二年(1790)」の石祠(蚕影様)があるらしい。三日月村に行ぐんには入場料がかかるんで、確認してねぇやぃね。


【参考文献】
『太田市史 通史編 民俗上』 p665-667, 太田市, 1980
『薮塚本町誌・上』 p864, 薮塚本町, 1991

【追記】
 『藪塚鑛泉案内』(今井武八郎 北新鑛泉同業組合事務所発行 1926)の図絵には、蚕影山の名は全く記されておらず、この山に相当する場所は「摺鉢山」とゆう名前になってらぃね。(西長岡と湯の入を結ぶ道があり道中に「摺鉢峠」という峠もある)

【更に重要な追記】(2011年1月)
 太田の職場にお勤めの方が湯の入出身で、お父様(80代M氏)が湯の入にご在住とゆうーことなんで、いろいろ質問事項を文書に挙げてお父様に聞いてもらったんさねぇ。

 で、結果は・・・
 蚕影山は、「蚕影様のある山」
 湯の入から西長岡鉱泉にいぐ峠道があって、そこの山は「摺鉢山」と呼んでいたとのこと。

 ・・・なんで、今までこの項は「蚕影山」だったんだけんど、全面的に「摺鉢山」として記述を改めたぃね。

『藪塚鑛泉案内』p39にはこんな記述もある。
 「湯前山常永寺」 西長岡より西山を登り山越に湯の入に行く途中遠く赤城、淺間、富士の秀峰を一眸の裡に望まる摺鉢峠に出る、眼下に閑寂なる堂の見ゆるが常永寺である。(以下略)


by dr_suzuki | 2009-01-22 22:05 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(6)
Commented by sanzokuame at 2009-01-23 18:10
蚕の字のつく山、初めて聞きました。
いかにも養蚕県らしい、いい名前ですね。
‘おこさま’信仰の山だったんでしょうね。
Commented by dr_suzuki at 2009-01-24 08:07
▼三束雨さん
蚕影神社は群馬を始め北関東に多ぃんさね。
桐生にも蚕影山はあるよ。
Commented by 楚巒山楽会代表幹 at 2009-01-24 17:13 x
小丸山は?お序でがありましたら、是非。三日月村の山頂に蚕影山神社があるようなのですが。
Commented by dr_suzuki at 2009-01-24 21:06
▼楚巒山楽会代表幹事さん
小丸山はホント「困る山」で、ビンボウ草わんさかなんで・・・ちょっと(笑)
三日月村に入るんはお金がかかるんで、・・・ちょっと(笑)
Commented at 2009-01-25 23:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by dr_suzuki at 2009-01-26 08:10
▼鍵コメさん
へぇー、あの廃屋って・・・確かにちょっとフツーの家の感じじゃなかったぃねぇ。今じゃまっさか不気味な雰囲気になっちゃったけど。
「稚児の松」がどこにあったんだか知りてぇやぃね。


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