2009年 01月 21日
旧中島飛行機地下工場跡 (太田市西長岡町)
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旧中島飛行機地下工場への坑道跡 (太田市西長岡町)


b0004675_1855315.jpg 太田の八王子丘陵には広大な八王子山公園墓地が整備されてるんさね。その中の一番奥の愛宕山の東側最深の丘陵部にひっそりと旧中島飛行機地下工場跡の坑道があることは、あんまり知られてねぇやぃね。

 太平洋戦争末期、戦局が著しく悪化した1944年末に、旧日本軍はここ愛宕山に地下軍需工場(薮塚工場)の建設を始めたんだと。(中島飛行機太田製作所は1945年2月に米軍機の空襲を受けて、多くは灰燼に帰しちまった)ここに多くのトンネルを掘って地下工場で本土決戦に備えて地下で特攻機の製作をしたり、こっから特攻機の発射も目論んでたらしい。1945年10月の完成を目指してたらしいけんど、建設途中に終戦となって、半分よりちっとできたぐれぇで地下工場の機能はなかったんだと。案内板に描かれた計画図をみっと地下に広大に縦横無尽に通路を掘ってぐ、おーかすげぇ計画だったことがわからぃね。ここでは1500人が10時間交代で突貫工事、日本人はもちろんお気の毒にも中国人捕虜や朝鮮の方々が強制労働をさせられ、多くの人が非業の死を遂げられたって話だ。(以前その在り処を探した西長岡鉱泉長生館も工事関係者の施設として接収されてたみて)終戦後間もなくの11月に米国戦略爆撃調査団がここに来たときには、既に多くの入り口で崩落が始まったってたんだそうだぃね。戦後60年余りが過ぎ、危険なためか内部の調査もされてねぇし、地下工場の真相は、まさに「闇の中」だぃね。

 現在は愛宕山の丘陵部に金属円筒で補強された坑道がひとつだけ開口してるけんど、入り口は金属の柵、その手前数メートルに立入禁止の看板と柵が設置され中を窺い知ることはでぎねぇやぃね。坑道からはこんこんと清水が湧き出し、その中にはこの寒中にもかかわらずクレソンと思われる草が青々と生えてらぃね。かつて軍需都市として発展した太田。戦争という異常なエネルギーが生み出した、悲しい歴史を持つこの愛宕山の遺構。オレたちが平和の大切さを考えてぐ遺構として、後世まで大事にしなくっちゃなんねぇよね。

 坑道に向け合掌。愛宕山を後にしたで。 

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ハチ・マムシ注意/説明板の地下工場計画図拡大/坑道入口をズームで

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現地案内板

b0004675_18525089.gif【右図は、カシミール3Dで国土地理院「ウオッちず」公開データに、今回のGPSのデータを読み込んだものを引用。フラッグは旧中島飛行機地下工場跡の立入禁止柵前。(北緯36度21分13秒32,東経139度20分03秒38) 見学してぇ人は公園の奥の高台まで歩って来てくんな。警告看板が立ってるように夏場にはハチやマムシ、墓地のお供えもんを狙って来るイノシシにも注意してくんなぃね。】


【参考文献】
現地説明板, 太田市教育委員会, 1996
『フィールドワーク 群馬の戦争遺跡』,p44-46, 第10回戦争遺跡保存全国シンポジウム 群馬県実行委員会, 2007
『日本の戦争遺跡』, 平凡社, 2004
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by dr_suzuki | 2009-01-21 19:13 | 東毛(+両毛)漫遊 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 二つ山 at 2009-01-22 10:31 x
群馬のあの辺りにも硫黄島を彷彿とさせる戦争の名残があったとは。
戦争末期、極貧の中での大工事に、数々の悲惨な出来事もあったでしょうね。これは、風化させずに保存しておきたいものです。
この地下壕を題材にして、小説でも書けそうですね。
今度双葉カントリーでプレーする時には、足元の歴史に思いを巡らせたいと思います(そんな余裕ないか・・・)
Commented by dr_suzuki at 2009-01-22 15:07
▼二つ山さん
戦争遺構は破壊されちまったもんが多いけんど、ここは戦争や人権の戒めの場として、ずっと後世まで残しとくべきだんべねぇ。


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