八王子丘陵の主脈より切り離された岩神山(太田市吉沢町)
奇妙な岩盤面/石祠/切り立った盤面
赤城神社/赤城神社社殿と巨岩/岩上公園
高さ数メートルにもなる巨岩、そして岩を人為的にえぐった(だんべ)奇妙な形の岩盤面にいくつかの小祠。採石工事もこの祭祀に手をつけなかったんか、反丸山などの八王子丘陵の主脈とは完全に分かれてしまったけんど、山のような巨石が新田堀のほとりに屹立してらぃね。(太田市の白図には、工事現場に小さく岩神山の文字の記載がある。)
「キケン立ち入り禁止」の看板があるけんど、恐る恐るそのえぐったような岩場を下から覗き込んでみた。・・・なかなかの威圧感があり、まっさか不気味な雰囲気。巨岩信仰もあいまって、古来より信仰があった場所なんじゃねぇんかね。
幕末の尊王の志、太田・細谷出身の高山彦九郎も桐生・梅田の忍山温泉に行ぐ旅行記「
忍山湯旅の記」(1774)でこの岩神明神の様子を書いてるんさ。彦九郎はここの印象を「
物すこく暗き所也」と書いているんだけんど、確かに北側で陽が当たらねぇし、ちょっとほの暗れぇ感じのするところだぃね。脇には1979年に勧請された赤城神社の社があって、絵馬が奉納されてたり、反丸養蚕組合と彫られた塔も建ってて地元の人々の信仰を集めてる模様。
南側に回ってみっと、こっから採石場の入り口となってる。ここで取られた石はどこにいったんかな。断端の西側から登ればこの岩場の頂上にも立てそうな気もするけんど、立入禁止の表示を遵守し、遠巻きに眺めることにすらぃね。(小丸山に続き未踏峰だけんど、いちよー麓を歩ったんで(笑)「東毛漫遊山歩き」タグに追加してみっか)
ここの脇には
新田堀が流れてる。太田エリアの田を潤す古くからの用水だぃね。この新田堀をちっと北上してみっと、県道桐生太田線をまたいで、
矢場分水工があるんさね。
ここは
太田頭首工からの水が新田堀幹線、矢場幹線の2系統に分水する場所だぃね。新田堀の基点をみることができて、ちっとうれしかったぃね。昔の地図をみっと、新田堀に沿って街道は南下し、途中
丸山宿への道を分岐して堀とともに西へと続いてぐ。今は県道や国道ができてしまったけんど、昔はこの新田堀の脇の道が、ここいらへんのメインストリートだったんだぃね。
(・・・もう時効だんべけんど、昭和50年代初頭のある春の日、なぜか担任のN先生とクラスみんなで北金井の電波塔まで遠足に行ぐことになって、電波塔からただ帰ぇるのはやめてちっと冒険するんべぇよと意見がまとまり、そっからクラス全員で進路を東にとり、山中を巡って急斜面を下って、確かここいらまで下りてきて新田堀に沿ってみんなして強戸まで歩って帰ぇった記憶がある。よく学校で問題になんなかったぃな(笑)昔はなっからおおらかだったぃなぁ(笑))
車を停めた岩神公園に戻る。唐沢山の登頂とゆう宿題は残っちまったけんど、とりあえず本日の吉沢探検は終了とすっか。
【参考】
コラム16 彦九郎の旅『忍山湯旅の記』の巻き (電撃! 激坂調査隊が行く‐東上州ヒルクライム日記‐)
水土里ネットまちやば
【参考文献】
高山彦九郎 『忍山湯旅の記』 (安永4年;1774)